「お茶の心を(独学で)知りたいのなら、
禅語を勉強するといい。」という助言を
(お義姉さんから)いただきました。
そこで、いくつか禅語関係の本を
買ってきて眺めています。
私が不思議に思ったのは、禅語の本に、
「人生訓的なもの」と、「情景的なもの」の
性質の異なる言葉が混在しているように
思えることです。
「放下着」などは前者の典型と思いますが
(先日の栗林公園の建築、「掬月亭」の
名の由来になったと思われる、)
「掬水月在手」などは、その意味よりも
この言葉が描きだす情景の美しさが
好まれてきたように思えるのです。
まあ、「良いものは良いから取り入れよう」
という、頭の柔らかい姿勢は大歓迎です。 |
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